@水面に映るホグワーツ城 inUSJ
自己投資、自己啓発の筆頭。生涯教育、生涯学習という言葉もよく聞くようになった。
私個人としては、資格を取得するメリットは、以下2点だと思っている。
① 相手に、自分を示すため
② 自分に、自信を持つため(自己肯定感UP)
自己紹介の資格
資格には、免許の機能を備えているものがある。運転免許もそうだし、医師免許や弁護士免許。ある行為をするためには資格を取得することが必要。ある行為をしたいんだったら、頑張って勉強して、資格を取得しましょうということ。
一方で、大半の資格は、自分に箔をつけてくれるものでしかない。私が推しているファイナンシャルプランナーをはじめ、管理栄養士など…そして漢検や英検は、ただの自分の実力の証明にしかならない。
「こういうコトを知っている人間です」「こういうコトが得意な人間です」というアピールができる材料。“自分”というものを説明するときに、すごく便利なものだ。
就活のとき、ファイナンシャルプランナーや管理栄養士の知識が生かせる職場であれば、採用してもらえる確率は高まるかもしれない。
努力証明の資格
また、資格を取得するということは、試験を受けなければいけない。学生時代はあれだけ定期的に試験を受けてきたかもしれないが、大人になってからの試験は、なかなか手ごわい。
試験を受けるためには、試験に申込、勉強をしなければいけない。当たり前のことだが、仕事、家事をこなしながらの情報収集や勉強はなかなかハードだ。
資格を持っているということは、それらを突破する力があったという証明になる。この人は、資格の取得に向け、行動し、努力できる人なんだというアピールになる。
勉強さえすれば合格できる資格はある。(むしろ資格は勉強さえすれば受かる。)
しかし、勉強という行為ができるかどうかは、また別問題だと思うのだ。机に向かってテキストを読む。問題を解く。今であればYouTubeでも勉強することができる。
仕事から帰ってきたら、あるいは休日、絶対にスマホでTwitterやインスタ、韓国ドラマを見て過ごしたほうが楽しいのに、それらの時間を勉強にあてることができる人とできない人がいるのは事実。
楽な道を選ばない、頑張る道を選べる、自分の証明になる。
資格を取る=えらい、とは必ずしも言えないんですけどね。自分が目指したい、取得したいと思わない資格を取ったところで何の満足感も達成感もないでしょう。
自分の表すモノ、自分の実力を示せるものは資格以外にもあるということをは書いておきます。
努力証明の大学
少し脱線するが、就活生のあいだで話題(問題?)になっている学歴フィルターもそうだ。偏差値の高い大学、人気の高い大学に通っている人は、その大学に入学するために努力をして結果を残すことができた人、と言うことができる。
勉強でも、スポーツでも芸術でも、普通の人よりも努力をしているのだ。
高学歴な人ほど、自分の学歴を示したがるのは、努力の証をアピールしたいからだと思う。毎回思う、選挙のポスターに学歴を載せる必要があるのか?と。承認欲求の塊すぎる。
企業から見てもはやり、頑張れる人、努力できる人材が欲しいはすだ。数千人のエントリーを受付ける人気企業において、いったん学歴でフィルターをかけることは納得できる話だ。数千人の人柄、エントリーシートなんて見てられない。
「頑張ってきた人」「努力できる人」の基準で学歴を利用するだけの話。
自信としての資格
資格をとっても、その後忘れてしまっては意味がない。そう言いつつ私は今FP1級の試験を受けろと言われたら、落ちるだろう。令和4年の基礎年金の満額は777,800円なのだが、これは調べればすぐに分かること。
そう、「資格取得のために」、覚えておかなければいけないのだ。
要は勉強したか、努力したかで決まるだけの話。
合格したら、自分は努力した人。そして努力して結果を出すことができた人と認定したい。自分の自信になる、誇りになる。
努力努力とスポコンみたいな考えみたいになってしまったが…
結果、試験に合格した!という自信が身に付く。それでいいじゃないか!と言いたい。
私は漢検準一級を持っているが、実生活に役に立つか?収入が増えたか?と聞かれたら、いいえ。でも、漢検準一級を持っている、というのは自信になるし誇れる。
合格目指して頑張って結果を残した。という自信。
それだけでいいじゃないか…!














