YouTubeやブログで、自分の“不幸”を発信する人が多いこと多いこと。
同じ悩みを持つ人の支えになりたいとか、元気づけたいとかというのは、正直、ホントかなぁと疑ってしまう。自分を発信する理由1位は、「承認欲求」では。
人間は承認欲求のカタマリ
キャンピングカーで旅する動画をYouTubeに投稿していたけれど途中で病気になった。だからと言って、闘病Youtuberにシフト変更なんてする必要ないんだよ!って思う。
(わたしが勝手に闘病YouTuberと名付けているだけです)
キャンピングカーの魅力を発信したいために始めたYouTubeなのだったら、「体調崩したのでキャンピングカーで旅を続けることが難しくなりました。お休みします。」でしょう?
おそらく、YouTubeを始めたきっかけはキャンピングカーで旅をしたい、ではない。キャンピングカーとYouTubeというコンテンツは、承認欲求を満たすためのものでしかない!
病気で、キャンピングカーで旅をすることができなくなった→闘病を題材にYouTubeを続けて、これからも承認欲求を満たしていこう。
と、性格悪い私は想像してします。
勝手な想像だけど、キャンピングカーよりも闘病の方が人は集まる。この人たち、人を集めたいがために路線(もはや脱線)変更したかと思う人もいて当然。
だから、「本当に病気なのか」「診断書出せ」って言われてしまうんだと思う。←実際に言う人については肯定しません。
もし病気になったらお金に変換?
(注)わたしなら。
心配かけたくない、そして気を使ってほしくないから、親とか近くの友達にも言えない気がする。という予想なので、まして全世界に顔をだして自分のカラダのことを発信するなんて無理of無理。
いや・・いざ命にかかわる大きな病気をしたら何か気持ちが変わるのかな?死生観とかが変わるのかな。それは、なってみないと分からない。
ちなみに私の母親もがん治療中。もう5年以上。けど、コレがお金になる予定は、全くない。
承認欲求が悪いって言ってるわけじゃない。当然の気持ちかと。それを満たすためにYouTubeを利用したっていい。まして職にしたっていい。お金稼いだっていい。
YouTubeじゃないけど、講演会とか本を出版するとか、自分の経験を売ってお金に変える。そこに需要があるならば、なんだって商売していい。商業は自由。
“不幸”を売っているわけではないと思う
ニュースで、がん闘病をYouTubeで投稿していたけど、「寛解」と言われてから登録者が減ってしまったという人を見た。
当然よね・・人が見たかったのは闘病している人であって、それがもう見れないんだから。(闘病じゃなくて「その人」を見たい人もいると思うけどね・・そんな人は登録者のまま残ってくれてるはず)
病気だけじゃない。Vlog系の皆さま共通して言える。
わたしも好きなんだけど、社畜をウリにしている人。ホントに社畜なんですか?ホントに会社行ってるんですか?ホントに終電で通ってるんですか?ってヘイトは集まっているのだろうか?
そして、ホワイト企業に転職しました!ってなったら今の視聴者はそのまま残るのだろうか・・YouTubeをやるヒマあったら転職活動したら?です。
結婚できない、独身で肩身が狭いをウリにしている人。ホントに独身なんですか?ホントに彼氏いないんですか?ホントに〇才なんですか?ってヘイトは集まっているのだろうか?
そして、結婚しました!ってなったら今の視聴者はそのまま残るだろうか・・・YouTubeやるヒマあったら、コンカツしたら?です。
(でるクイは打たれる・・わたしの知らないところで、いろいろ苦労されているんだと思うけど・・)
その人は“不幸”とは限らない
自分の“日常”をキリウリしているだけで、実は“不幸”を売っているわけではないと思う。
他人から見たその人の日常がたまたま“不幸に見える”だけであって、その人にとっては日常でしかないんじゃないかなぁと思うのです。
その人が不幸だと思っているのは、こちらの主観でしかないです。
障害がある方、病気と共に生きる方のYouTubeをみて、かわいそうと思うか、コイツ不幸をウリにして金稼いでると思うかは、主観でしかないです。
「ふーん」と、ただ思っておけばいいのです。(自分の主観をもって相手をたたくなんてもってのほかです)
あと。他人の不幸は蜜の味っていうことは科学的にも証明されているらしい。だから、この人みると安心する!って思う自分を悲観的に思う必要もない。たくさんみて自己肯定感を高めればいい。
“他人の蜜”になってるかも?って気にする人は、自分を発信するなんてことはしませんので(笑)
知らず私自身が他人の蜜になっているかもしれないし、そこはお互い様ということで。
@ICHIGOGARI